居住区から少し離れた森林は絶好の狩場だった。
とはいえ、羽京さんでもあるまいし、つい最近までぬくぬくと加工された肉を食べ続けていた私のような人間が急に弓矢などを当てられる筈もなく。
分かりやすいように立てておいた目印の傍まで行くと、眼下には期待どおりの光景があった。
落とし穴の中で弱っている動物にとどめをさすのは忍びない。忍びないと思っていた。
生きていく為には必要なことだった。現代でだって、誰かがしてくれていたことだ。

「へえ、君にしては考えましたね」
「げえっ」

いきなり背後に立つのはやめて欲しい。
一人で獲物を処理して持ち帰るのは難しいので人手が欲しいとは言ったが、まさか氷月がついて来るなんて。

「君にしてはって……原始時代じゃ一番手っ取り早い方法だと思うけど」
「とどめは」
「はいはい今すぐ」

的の身動きを封じてしまえば、当てるのは難しくない。
ほどなくして、獲物はピクリとも動かなくなった。
獲物を穴から引き上げて、悪くならないうちに血抜き作業をする。
期待していた訳では微塵もないが、氷月が手を貸してくれたのは引き上げるところまでで、後はいつもの管槍を持って獲物を解体する私を眺めているだけだった。
そういえば、いつも彼の後をくっついて来るほむらはいないらしい。
女の子には少しグロいだろうか。騒ぎそうな感じもしないけれど。ほむらはクールだ。

「いやいや、私も女なんですけど」
「はぁ?」
「なんでもありませーん!」

口より手を動かせということか、姑みたいなヤツである。
いや。姑ならまだカワイイといえるだろう。
正直な所、氷月と二人きりなんてご勘弁願いたかった。
私はこの男が怖くて仕方がないのだ。
細められた目に黒い布で覆われた口元。これはあくまで主観だが、丁寧そうに見えて周りを見下す慇懃無礼な口調に態度。
振るえば業火をも薙いでしまいそうな長い槍。いつかあの槍の餌食になってしまうんじゃないかと、気が気でない。
悪いことをした覚えもないけれど、言うなれば食われる側の本能が、ヤツは危険だと告げている。

「狩猟免許でも持ってたんですか」
「特には……」
「妙に手際が良い」

まさか褒めてもらえるとは。明日は管槍が降ってくるかもしれない。全く笑えなかった。

「何度もやってればね、嫌でもやらなきゃって思うでしょ」

意外と適性があったのか、肉の処理は抵抗なくできるようになっていた。慣れというのは恐ろしい。
木の実を集めたり道具を作る道もあったかもしれない。ただ肉の消費量が多いので、なんとなく手伝っていたら狩猟メインにされてしまっていた。完全に流されている。

「でも生き物が死ぬのを見るのは慣れないなぁ」

自らの手で、他の命を奪う。ここの人達はみんな屈強だけれど、抵抗はないのだろうか。
氷月にそれを問うのは、あまりにも愚かだ。深淵を進んで覗きたくはない。

「あと、死ぬ間際にわーっと暴れたりするから油断すると普通に危ないんだよねえ」

最期の最期まで生きたいという抵抗が、余計に見ていてつらいのだった。私も命が尽きるその時までこうして足掻けるのだろうか。ついつい考えてしまう。

「武道でもさぁ、あるでしょ。最後まで気を抜かない!的な」
「残心」
「そうそう、…………そうなの?」
「知らないのに言ったんですか?」
「す、すみません」

ザンシン、確か剣道の小説か漫画か何かを読んで得た知識だったような気がする。

「でもこうやって見ると、理にかなってはいるね」
「当然ですが」
「すみません」

あとは適度にバラバラになった肉を、居住区まで運ぶだけ。運んだら、調理しなければならない。これだけ手間隙かけたところで、一人あたりの食べる量が多すぎる為あっという間になくなってしまうのだった。

「氷月は、その槍で殺せる?」

あれほど止めておけと思っていたにも関わらず、私はつい口を滑らせてしまった。
なにも人を傷付けるために武芸に励むのではないと思う。しかしそれでは、今の彼の背から放たれる殺気はいったい何なのか。
これは、これはいざという時逃げられるようにする為だ。断じて、他意はない。

「必要があれば」

必要って、なんだ。

「さっきから少しお喋りが過ぎますね」

なんなら試しますか?
その言葉と共に明確に私へと向けられた意思に、肌が粟立つ。
やはり彼は危険だ。私がうっかり口を滑らせたから。役に立たないから。それかもっとどうでもいい理由で、いつか始末される気がする。

「た、試すにしても、とどめはちゃんとさしてよね。じゃないと噛みついてやるんだから……!」
「……ふ、冗談ですよ」

今、笑った。笑ったのか。恐ろしい。こんな会話をしておきながら、笑えない冗談が言えるなんて。

「まだちゃんとしてそうですから、君は」

こんな殺気を向けられたのに、逃走より闘争を選んでしまった。
存外、私もこの人を笑えない程度には血の気があるのかもしれない。



2020.2.26 Fight or Flight


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